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大阪高等裁判所 昭和44年(く)93号 決定

申立人 伊村晴基こと又は尹才元こと尹貞夏

決  定

(抗告人氏名略)

右抗告人は、別紙被疑者名簿(略)記載の南好彦外八名を被疑者とする刑事訴訟法二六二条一項の請求事件について、昭和四四年三月二九日和歌山地方裁判所がした請求棄却決定に対し、抗告の申立をしたので、当裁判所は次のとおり決定する。

主文

本件抗告を棄却する。

理由

本件抗告の理由は、抗告人作成の抗告申立書に記載するとおりであるから、これを引用する。

第一本件抗告中、被疑者上垣一郎に関する部分について

南好彦外八名に対する特別公務員職権濫用、特別公務員暴行陵虐致傷被疑事件不起訴関係記録中にある医師西村威作成の死亡診断書によると、被疑者上垣一郎が本件付審判請求前である昭和四一年一〇月一五日死亡したことが認められるから、同人についてした付審判請求の不適法であることはまさに原決定のいうとおりである。従つて、本件抗告中、上垣一郎に関する部分は、抗告人主張の抗告理由について判断するまでもなく、理由がないことは明白である。

第二本件抗告中、右上垣一郎以外の被疑者に関する部分について

一、抗告理由中、審理手続の不公正、違法をいう主張について

所論は要するに、原裁判所が前文記載の付審判請求事件の請求人である抗告人に対し立会いの機会を与えないで証人北村英行、同美馬健一および同松田茂男を取調べたのは不公正で、その審理手続に違法があるというのである。

よつて、原審付審判請求事件記録によつて調査すると、次の事実が認められる。すなわち、原裁判所は、昭和四二年二月二四日所論北村英行および美馬健一を含む証人五名、被疑者二名ならびに抗告人(当時、請求人)を取調べる旨決定し、これらの者の氏名、取調の日時場所を抗告人、その代理人ならびに被疑者らに告知するとともに「当裁判所が請求人、被疑者、証人等の取調をする際、貴方は、これに立ち会うことができます。」旨の通知をもし、右北村、美馬両名以外の者についてはいずれも抗告人、その代理人、被疑者らならびにその弁護人立会いのもとに所定の日時場所で取調べた。しかし、北村および美馬については、原裁判所は当初指定した同年三月一五日にこれを取調べないで同日その取調期日を北村については同年三月二七日午後一時に、美馬については同日午後二時にそれぞれ変更したが、同年三月二二日にいたりさらに右両名の取調期日を変更し同期日を追つて指定する旨決定した。そして、これらの期日変更決定はその都度抗告人ら事件関係者に告知された。ところが、その後、原裁判所は、これまでの方針を改め、抗告人やその代理人のみならず被疑者らやその弁護人にも取調期日を通知せず、従つて、これらの者の立会いのないまま、所論松田茂男を参考人として取調べたほか、各種の方法で事実の取調べを行ない、かつ、さきに取調決定をした前記北村、美馬についてはその必要性が消滅したとしてこれを取調べないで審理を終結した。

「そこで、所論の当否について案ずるに、刑事訴訟法は、もともと国家のもつ公訴権を検察官に専属させるいわゆる起訴独占主義を採るのであるが、同法二六二条一項に掲げる罪についてはその犯罪の特殊性から特に同主義に対する例外としていわゆる付審判の制度を設けたのである。そして右制度においては、右犯罪について告訴または告発をした者が、検察官の不起訴処分に不服であることを理由として、右告訴または告発事件を裁判所の審判に付する旨の裁判を請求し、裁判所は、警察官および検察官によつて収集された資料を調査するほか、必要があるときみずから事実の取調べを行なつて、右理由の有無すなわち犯罪の嫌疑の有無および相当性(同法二四八条参照)、ひいて不起訴処分の当否を判断し、右理由があるとき、すなわち、不起訴処分が不当であるとき、事件を審判に付する旨の決定をし、右決定があつたときは公訴の提起があつたものとみなされている。従つて、付審判の制度は、検察官の不起訴処分の当否に対する審査を裁判所に委ねたものということができるが、裁判所が警察官や検察官から捜査資料を引継ぎ、さらにみずからも事実の取調べをして、不起訴処分の当否を審査するのに不可欠である犯罪の嫌疑の有無および相当性を判断すること、ならびに請求の理由があつたときの付審判の決定が公訴の提起に該当することなどに照らすと、付審判請求事件における裁判所の審理が実質的には検察官の捜査に引続いてなされる裁判所による捜査の性格を有するものといわざるをえない。そしてこのような付審判請求事件の審理の実質的性格にかんがみると、裁判所の行なう事実の取調べについては、対立当事者的訴訟構造の存在を前提とする諸規定、ことに請求人ら事件関係人の立会権および同人らに対する裁判所の通知義務に関する同法一五七条等の規定の適用はないと解するのが相当である。もつとも、前記のように本制度が設けられた趣旨にかんがみると、裁判所としては、事実の取調べにあたつて、請求人を立会わせることが適当な場合もあると考えられるが、それはあくまで裁判所の自由裁量に委ねられている事柄である。」そうすると、原裁判所が前記のように当初事実の取調べに際し、その取調べの対象、日時場所等を事件関係人全員に一律に通知し、取調べに立会わせたのは、右自由裁量に基づくというよりは、むしろ、当事者公開主義的見地にたつて付審判手続の実質的性格を正しく理解しなかつたことによると考えられるのであり(このことは、当時原裁判所が事件関係人全員に記録の閲覧謄写権のあることをも通知したことからもうかがわれる。)その後従前の方針を改め、請求人(本件抗告人)やその代理人のみならず、被疑者らおよびその弁護人にも取調期日を通知せず、これらの者の立会いのないまま事実の取調べを行なうこととしたのは、付審判請求事件の審理として、いわば本来の姿に戻つたに過ぎないと考えられる。ところで所論北村英行および美馬健一については、前記のように結局これを取調べなかつたのであるから、右両名に関する所論は前提を欠くのみならず、原裁判所が右両名の取調決定を取消したことを抗告人に通知しなかつたからといつて、その手続が不公正、違法であると非難すべきでないことは付審判手続の前叙のごとき性格に照らし明白である。所論松田茂男の取調べにつき抗告人に立会いの機会を与えなかつた点についても、また同様の理由から違法とはいえないし、審理の経過に照らし自由裁量権の行使を著しく誤つたものとも認められない。抗告人は、要するに、原裁判所が当初付審判手続の性格を正しく理解せず請求人(本件抗告人)には当然事実の取調べに立会う権利がある旨誤つた通知をしたことを楯にとり、不当に立会権を主張するものであつて、その主張は採ることができない。

二、抗告理由中、事実誤認をいう主張について

(一)  所論は、まず、被疑者ら(前記上垣以外の八名をいう。以下同じ。)は原決定の理由第一の一記載のように特別公務員としてその職権を濫用して抗告人を逮捕監禁し暴行陵虐を加えて傷害を負わせたとるる主張し、これらの点についてすべて犯罪の嫌疑が認められないとして抗告人の請求を棄却した原決定には事実の誤認があるというのである。

しかしながら、原決定の理由第二に挙示されている資料のすべてをし細に検討すると、被疑者らについて抗告人主張の如き犯罪の嫌疑のないことが十分に看取される。そして、その理由は原決定がその理由第三において詳細かつ適確に説示しているとおりである。その判断の過程において抗告人が韓国人であるが故に差別をしたとのかどはとうてい認められない。また、医師松田茂男は原裁判所において警察官である被疑者らはもとよりその弁護人も在席しないところで参考人として取調べられたのであるが、その供述内容を同医師が抗告人を診断した際に作成した診療録の謄本(本件付審判請求事件記録中)および抗告人の求めにより同医師が作成した診断書(前記被疑者南好彦外八名に対する不起訴関係記録中)の各記載と対比すると、同医師は、被告人の負傷の部位程度およびその原因等について、抗告人側および警察官側のいずれにも偏することなく、もつぱら自己の知識経験に基づき真実を供述したものであることが十分に認められるのであつて、抗告人のいうように地元警察官の圧力により虚偽の供述をしたのではないかと疑わせるふしは全くない。そして、右松田供述の信用性は、医学についてはしろうとである所論雑賀史郎(和歌山地方法務局人権擁護課調査係長という。)を喚問することによつてくつがえしうるものとも思われないし、また、抗告人が昭和四一年九月一日から昭和四三年四月一三日まで通院加療したという医師の診断書を取調べることによつても結論を異にするものとは思われない(ちなみに、本件資料のうちには、医師田中豊一作成の昭和四一年一〇月三日付診断書があり、それによると抗告人が腰部挫傷後遺症のため同医師経営の病院に同年九月一日から通院し治療を受けていることが認められる。しかし、後遺症とはいえ、事件後五か月余を経て初めて通院し始めたというのであるから、果して事件の際の負傷によるものであるかどうか多分に疑問であるし、仮りに事件の際の負傷に起因するものだとしても、もともと、本件においては、原決定もいうように、その負傷が抗告人の自傷によるとの疑が多大であるから、所論診断書の存在は本件の結論を左右するだけの価値をもたない。)。なお、所論は、抗告人が原決定のいうように酒を飲んで暴れたかどうかは抗告人の酒癖について鑑定したうえでなければ判断できないはずであるというけれども、当夜岩出警察署留置場に収容されていた浅田耕正、美馬健一、北村英行は、同留置場内での抗告人の言動をつぶさに目撃していたのであるが、いずれも同所での抗告人の酒乱ぶりを詳述しているのみならず、抗告人の酒癖の悪さは同僚間でも定評のあることが資料によつてうかがわれるので(本件付審判請求事件記録中にある原審受命裁判官の証人浅田耕正に対する供述調書、前記被疑者南好彦外八名に対する不起訴関係記録中にある浅田耕正(二通)、美馬健一、北村英行の検察官に対する各供述調書、抗告人に対する器物毀棄、威力業務妨害被告事件記録中にある甲斐和夫の司法巡査に対する供述調書参照)、所論鑑定の必要性はない。

(二) 次に、所論は、被疑者らを含む岩出警察署警察官は、抗告人が昭和四一年三月一二日のカフエー「ナイス」でテーブルを壊したことについては同年三月二八日被害者花井千恵子との間でその損害を賠償することで示談解決したのに後日同女に圧力を加え強要して告訴させ、抗告人を器物毀棄、威力業務妨害の嫌疑で逮捕して取調べ、いつたん釈放した後、さらに本件付審判請求の対象である犯罪の被害者である抗告人を逆にその際公務執行妨害、傷害の罪を犯したものとして事件を捏造し、抗告人を取調べたのであつて、これは、抗告人がその被害事実を和歌山地方法務局人権擁護課へ申告したことを警察側で知り被疑者らの職権濫用事実の罪証を隠滅しようとしたものというべく、このこと自体付審判請求の対象たる被疑事実の存在を示すものであるという。

しかしながら、(1)まず、花井千恵子に関する点について調査すると、同女が昭和四一年四月一日さきに抗告人から受けたテーブル損壊の被害につき抗告人を器物毀棄、威力業務妨害の罪で岩出警察署に告訴したことは、抗告人に対する器物毀棄、威力業務妨害被告事件の公判廷における右花井の証言によつて明らかなところ、同女は、さらに同公判廷および原裁判所のした証人尋問において、右告訴の動機につき、抗告人が同年三月一二日初めて同証人経営のカフエー「ナイス」で酒に酔つて暴れ営業用テーブルを持ち上げて煉瓦造りの隔壁に投げつけこれを損壊したが、そのときは抗告人を勤務先の事務所の者に連れ帰つてもらつた、しかし、いずれ抗告人が謝罪に来るものと思つていたのに、いつこうに来ないばかりでなく、二回目に来た同年三月二八日にはさきの乱暴を謝罪しないばかりか、同店店員からの要請で来てくれた南巡査らにいいがかりをつけるなどの言動さえあつたので、今後とも抗告人が店に出入りし客に同様の振舞をされては困ると考え、告訴を決意した、告訴当時にはまだ抗告人との間で示談の話は全くなく、自分が前記公判廷へ証人として出頭した当日の同年六月一日になつてようやく弁償金三、五〇〇円の支払があつた旨供述しているのであつて、これによると、右花井の告訴はその自由な意思によるものであることは明白であり、その間警察側から同女に告訴を強要したと認めるに足る資料は全くない。(2)次に抗告人に対し公務執行妨害等の被疑事件を立件した点について調査すると、原決定の理由第二挙示の諸般の資料によれば、岩出警察署においては、当初、抗告人の各被疑者に対する乱暴な所行を泥酔者のしたこととして黙過するつもりで単に外国人登録証明書不携帯の事実についてのみ取調べをしたが、抗告人が和歌山地方法務局人権擁護課へ本件被疑事実を申告したことを同年三月三〇日に知りむしろこの際抗告人の前記所行を黙過しないで正式に立件すべきであるとの判断のもとに捜査を開始したことがうかがわれるのであつて、警察側のこの措置は、これを黙過することにより却つて世上に誤つた疑惑を生ぜしめるおそれのあるところからして、まことにやむをえないものといわざるをえない(ちなみに、右のごとく立件された公務執行妨害等被疑事件については、既に確定判決のあつた前記花井を被害者とする器物毀棄の罪の余罪にあたることのほか、当時被疑者<抗告人>が泥酔し心神耗弱の状態にあつたことをも理由として、起訴猶予処分がなされた。)。要するに、右(1)および(2)のいずれの点も、所論のように被疑者らの職権濫用事実の罪証を隠滅するためになされたものということはできないし、いわんや、これをもつて本件被疑事実の存在を示すものということはできない。

第三結論

以上のとおりであるから、被疑者上垣一郎に関する部分については不適法として、またその余の被疑者らに関する部分については理由がないとして本件請求を棄却した原決定は正当であり、本件抗告は理由がないので、刑事訴訟法四二六条一項後段により主文のとおり決定する。

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